多元的無知が環境配慮行動を阻害するプロセスの解明-国際比較調査・実験による検討

研究概要

①研究の学術的背景

申請者はこれまで継続的に環境配慮行動の伝播の研究を行っており、その中で、他者との直接的なコミュニケーションが環境配慮行動を促進するために最も効果的であることを見いだしてきた(Ando et al., 2015; 安藤ほか, 2019; 安藤・大沼, 2018)。しかし、多くの人が環境問題に関心を持っているにも関わらず(Milfont & Schultz, 2016)、実際には環境配慮行動に関するコミュニケーションが少ないことが近年の研究で指摘されている (Capstick et al., 2015; Leiserowitz et al., 2015)。申請者による研究では、日本はその中でも特に環境コミュニケーションが少ないことが示されている (e.g., Ando, Ohnuma, & Chang, 2007, Ando et al., 2015)。本研究では、環境コミュニケーションが少ない原因として多元的無知 (Allport, 1924) に着目する。多元的無知とは、集団内の多くの人が、自分自身はその規範を受け入れていなくても、他の人はその規範を受け入れているだろうと誤った認識を持つことである (Katz & Allport, 1931)。多元的無知は沈黙のらせんに結びつくことも指摘されている (Noelle-Neumann, 1984)。自分の意見が少数派であると考えると、そのことについて発言しなくなり、社会の中で沈黙が広がっていく。たとえ自分が環境配慮行動に関心があっても、他者は環境配慮行動に関心がないだろうと誤った推測をすることから、そのことについて話題にすることを避けるようになると考えられる。

 多くの他者がその行動を実行しているという認知は記述的規範 (Cialdini et al., 1991) に該当し、環境配慮行動に影響を及ぼすことが様々な研究で示されている。Farrow et al. (2017) は社会規範を用いた環境研究をレビューし、様々な規範の中で記述的規範は特に環境配慮行動に一貫した効果を持つことを報告している。

 記述的規範が環境配慮行動に影響を及ぼすことがすでに指摘されているが (Farrow et al., 2017)、本研究は、社会規範が行動を促進するだけでなく、多元的無知のプロセスを通じて行動を抑制している可能性もあることを検証する。

 さらに本研究は、ゲーミングを用いて、他者との相互作用により、多元的無知のプロセスを解消することができるかを実証的に検証する。記述的規範が環境配慮行動に影響を及ぼすことは確認されているが、記述的規範を変化させる方法については十分に明らかになっていない。実際に他者とのコミュニケーションを取ることが、多くの他者が環境問題に関心を持っているという社会全体の規範の認知に拡大し、社会的現実を構成することにつながると考えられる。他者との相互作用による記述的規範の認知の変化がさらに社会全体に拡大した場合、環境コミュニケーション、環境配慮行動が増加し、他者も環境問題に関心があるという認知が広まるという正のスパイラルに移行すると考えられる。Ando et al. (2019)はゲーム内で他者に環境配慮行動を勧めるというロールプレイを行い、また他者からも環境配慮行動を勧められるという体験をすることにより、他者は環境配慮行動に関心を持っているという認知が高まることを明らかにした。このことは、ゲームという形で他者と相互作用を伴うコミュニケーションを行うことにより、多元的無知を解消できる可能性があることを示唆している。

 また本研究では、多元的無知のプロセスの国際比較を行う。日本を含むアジアでは、他者と良い関係を維持することが重視されているのに対し、北米やヨーロッパでは、個人の価値観を重視することが指摘されている (e.g., Markus & Kitayama, 1991)。近年では、文化のタイトさ (tightness) -ルーズさ (looseness) という次元が社会構造に影響を及ぼすことが指摘されている (e.g., Gelfand et al., 2011; Uz, 2014)。タイトな文化においては社会規範からの逸脱に対してより厳しい罰(サンクション)があり、個人の価値観がそのまま行動に反映されるとは限らない。つまりタイトな文化においてはより社会規範に同調する傾向があることが予測されるが、このことは多元的無知にも影響を及ぼすだろう。Tam & Chan (2017) は文化のタイトさ-ルーズさの次元が態度と環境配慮行動との結びつきに影響を及ぼすことを示している。多元的無知は社会規範の維持を重視するタイトな社会においてより強い影響を及ぼす可能性があるが、その点についてはこれまで十分に明らかにされていない。本研究では、日本を含むアジア文化圏の国においては、多元的無知の影響が強く現れるという仮説を検証する。

 さらに、多元的無知の効果が強い社会においては他者は環境問題に関心が低いと認知されているため、他者とのコミュニケーションによって他者が関心を持っていると認知が変化する度合いはより大きいことが予測される。つまり、コミュニケーションによる態度の変化は多元的無知の影響が強い社会においてより顕著となるだろう。このことは、多元的無知の解消は日本で環境配慮行動を促進するためにより重要な意味を持つことを示唆する。

②研究期間内に何をどこまで明らかにしようとするのか

これらのことを検討するために、研究1では日本、中国、ドイツ、アメリカにおいてオンライン調査を実施し、多元的無知が実際に環境コミュニケーションを取る意図に影響を及ぼしているのかを検討する。これらの国ではすでに大学生を対象とした調査を実施したことがあるため、予備的な確認ができている。また、中国、アメリカは二酸化炭素排出量がそれぞれ世界で1,2番目であり、これらの国において環境配慮行動に影響を及ぼす要因を明らかにすることは重要な課題である。多元的無知の効果に影響を及ぼす可能性のある要因として、タイトさ-ルーズさ、関係流動性、環境問題への関心を検討する。タイトで関係流動性が低い社会である日本、中国において、またもともと環境問題への関心が低い個人において多元的無知の効果が強くなると予想される。幅広い年齢の一般市民を対象とするためにオンラインにより調査を実施する。調査票の構成にあたっては、国内外の共同研究者と綿密な連絡を取りつつ質問項目の選定を行う。質問紙は最初に日本語で構成し、各言語に翻訳した後、バック・トランスレーションにより妥当性を確認する。

研究2では、他者との相互作用によって記述的規範を変化させられるか、それが多元的無知の解消につながるかを検討する。文化により多元的無知の効果、及びその解消の効果が異なるかを検証するために複数の国において説得納得ゲームを実施する。アジア文化圏の国として日本、香港、シンガポール、西洋文化圏の国としてドイツ、ニュージーランドにおいて行う。香港、ドイツではすでに説得納得ゲームが可能であることが確認されており、シンガポール、ニュージーランドでも英語によるインストラクションが可能である。可能であればそれ以外の国においても説得納得ゲームを実施する。説得納得ゲームでは、参加者が環境配慮行動を勧めるために他の参加者に対して説得を行う。参加者にはゲーム前後において質問紙に回答してもらい、他者の環境配慮行動への関心の認知、他者と環境コミュニケーションを取る意図、自身の環境配慮行動の実行意図を測定する。海外での説得納得ゲームの実施にあたっては、同じ条件でゲームが実施できるよう研究代表者、研究分担者が渡航して実施の補助を行い、実際の説得納得ゲーム内での展開を現場で観察・記録する。ゲームの実施にあたっては、新型コロナウイルスをめぐる国際情勢を見ながら慎重に時期を判断する。

③本研究の学術的な特色・独創的な点

これまで環境配慮行動について多元的無知との関連を検討した研究は非常に少なく、Geiger & Swim (2016) や Chumg et al. (2020) 以外には見られない。Geiger & Swim (2016) においても多元的無知の解消の操作が行われているが、特定の他者についての一方向的な情報提示であり、その効果は限定的であった。信号無視など他の行動と比べて環境配慮行動を実行しているかどうかは外から知ることが難しい。他者の行動や認知を知ることが困難な事象においてより多元的無知の効果が大きくなるため、環境配慮行動において多元的無知の効果を検証することは特に重要な意義を持つ。

また環境配慮行動の研究において文化的多様性が欠如しているという問題が指摘されているが (Tam & Milfont, 2020)、環境配慮行動における多元的無知の影響について日本での研究は見られず、複数の国において文化間での比較を行ったものはない。文化により多元的無知の効果は異なると考えられるが、本研究はこうした方面への研究に環境配慮行動という具体的な題材からアプローチするものである。

 これまでコミュニケーションが環境配慮行動に及ぼす効果の研究のほとんどは調査によって行われており、因果関係については十分に明らかになっていない。本研究では、他者との会話など実際の相互作用を含む説得納得ゲーム (杉浦, 2003) を用いて、コミュニケーションの効果を実験的に検討する。ゲームという形により、参加者は他者からのネガティブ評価を気にせずに環境コミュニケーションを取ることができ、参加者間のダイナミックな相互作用を観察することができる。申請者らのグループはこれまでに説得納得ゲームを用いた共同研究を行っており、説得納得ゲームが異なる国においても実行可能であることを確認している。説得納得ゲームを各国で実施することができるのは、本申請グループのみである。

 多元的無知の研究は近年多く行われているが (e.g., Grootel et al., 2018; Munsch et al., 2018; 岩谷・村本, 2017)、これらの研究は「多元的無知」を静的な状態としてとらえており、個人と社会の相互作用によりダイナミックに変化するものとして捉えたものはない。本研究では、ゲーミングを通じて多元的無知の変容を動的に捉えようとするものであり、個人と個人の相互作用で互いに変化を及ぼし合い、さらにそれが社会全体の認知の変化につながるダイナミックなプロセスを捉えることを目指すものである。このプロセスの解明は、社会心理学の分野においても大きなインパクトを与えることができるものとなるだろう。

Andos Lab